詳しいプロフィール その4

帰省後

1985年(開局4年目 社会人1年)

 就職のため千葉県我孫子市に帰省。私が育った家は空き家のままで放置されていて、両親はそこから200mほど離れた場所に別の家を建てて住んでいたので、私は空き家の方に1人で住むことにした。
 2Fの屋根に1.7mくらいのルーフタワーを上げて、そこにクリエイトの14,21MHzのディアルバンダー214AとVHFのGPを上げ、14,21MHzでDX、50MHzではTS−600でFMラグチューを楽しんでいた。
 このアンテナは沼南町(現柏市)のCQタガミで購入し、以後ほとんどのグッズをCQタガミで購入するようになった。今使っているタワーもそうで、もう30年近い付き合いだった。
 しかし、そのお付き合いも2013年1月中旬にタガミの社長が突然他界してしまい、終ってしまった。
 プライベートな付き合いは一切なかったが、そこに行けば必ず会える人がそこにいなくなっただけではなく、その場所自体がなくなってしまうのだからさびしいものだ。
 ご冥福をお祈りする。

 ところで、このころは高校生や大学生のハムも多かった。超美人の女子高生をめぐってのローカルハムにおける争奪戦があったが私は不参加。
 その美女をめぐっては、彼女の大ファンの男性が近所に越してくるという強硬手段を行ったので当時はそれがこれはすごいと思ったが、今だったらかなり気色の悪いストーカーだ。

 HFのリグは相変わらずTS−830で、50MHzはTVIが止まらない家があり処置もさせてもらえなかったのでTS−600の出力を5Wに絞っていた。
 このTVIが止まらない家はぼろい受信アンプを取り付けているためにそれが50MHzの基本波を拾ってしまうのだが、近所の電気屋が「悪いのはアマチュア無線をやってるほう」と言ったのを丸呑みして対策をさせてくれなかった。
 どういう仕組みでそうなるのかを説明すると「あなたは神様か!?」と言い出す。「神様じゃなくて、ただ説明してるだけですけど」というと、「電気屋がお前のせいだといってるんだから、それが違うというならお前は神様じゃないか」とまったく訳の分からないことを叫んでいた。
 数年後にその方が突然神様の近くに行くまで、50MHzの出力は抑え気味だったが、それでも 50MHzはCW、SSBだけではなくよくFMに出没していた。高校生から若手社会人のグループがあって、よく彼らと夜な夜な馬鹿話をしていた。
 また、喫茶店に集まったりお気に入りのカレー屋に皆ででかけたりと無線仲間との交際中心の週末が続いた。




1988年(開局7年目 社会人4年生)

 4月の試験で第1級アマチュア無線技士を取得した。
 500Wなどという大電力を出す気はなかったが、もしも免許制度の変更が行われたときに最上位資格を持っていれば割を食うことはないだろう、と思ったからだった。
 ところで、和文送信試験の時に「いつもはエレキーなのでどうも縦振れだとうまくいきません」と言ったら試験官に「エレキー持ってくれば良かったのに」と言われて、初めてエレキーの使用がOKだったことを知った。
 だけど、この試験が欧文、和文CWの送信試験がある最後の試験で、10月期からは受信のみになったため、誰に教えても喜ばれない、役に立たない情報だった。

1989年(開局8年目 社会人5年生)

 毎週スケジュールQSOをしていたアラスカ大学名誉教授のKL7YR大竹先生が「夏休みにオーロラを見に来ないか?」というのでオーロラ見物にアラスカ第二の都市であるフェアバンクスまで足を運んだ。
 一人でのんびりお邪魔するつもりだったのに、その計画を知った当時の彼女が「そっちの方が面白そうだから、あたしもそっちにする」と、友達と計画中のハワイ旅行をキャンセルしてついてきてしまった。
 その時、アラスカまでの往復航空運賃を立て替えたのだが、結局踏み倒された。
 踏み倒したその女の言い分はこうだ。
「結婚したから財布はひとつ」。
 そう、その女とは今の家内なのである。
 その割に自分の預金は「これは結婚前の貯金だから私のよ」と主張している。

 フェアバンクスではKL7YR宅に泊まり、アラスカ大学を見学したりオーロラの観察に出かけた。KL7YR大竹先生が毎日気象情報を分析してオーロラの出現チェックをしてくださった。
 その結果、2泊目の夜に「今夜オーロラ出る。行きましょう!」と車に乗せて、森の中まで連れて行ってくださり、写真の通りのオーロラを観測することができた。
 これがなんと、その年最高のオーロラだったそうで、翌日の新聞にも掲載されていた。
 その後、学会で来日の際には私の家に宿泊されたりもしていたが、アラスカからオハイオに引っ越されてからはあまり連絡を取らなくなった。
 どうされているのだろうか、と時たま思い出していたが、2019年のハムフェアで再会した方の話でKL7YR大竹先生が数年前に他界されていたことを知った。
 気象学の権威であり、新田次郎のアラスカ物語にも実名で登場するような人なので、アメリカの新聞にも訃報が掲載されていた。
 とても楽しい時間、思い出をいただいたことに感謝申し上げたい。

そのとき実際に見たオーロラです
撮影 KL7YR

 この年末に最初の結婚をした。まだその1回だけだけどw。その家内に「アマチュア無線には1,2級しかない」と騙して2級をとらせる画策をした。途中で3,4アマの存在がバレたが予定通り2アマを取得してくれたので、4アマ用のリグを買わずに済んだ。

1990年(社会人6年生)

 結婚後は結婚前から1人で住んでいた家に家内を迎えて住んでいたが、その家を建て替えることにした。そのため、一時的に埼玉県幸手市に移転した。
 幸手は借家だったので大きなアンテナは上げられず、テレビのアンテナのポールに50,144,430MHzのGPのみを上げていた。主に430MHz/FM・CW(和文)にQRVしたが、430MHzの和文はいつ出ても相手は同じ数名だった。
 幸手市ローカルの皆さんはとてもフレンドリーでずいぶんと良くしていただいた。特に竹馬で全国的に有名なJJ1MAZ川俣さんにはひとかたならぬお世話になった。
 最近、そのころの皆さんの声がまったく聞こえないのが非常に残念だ。 

 この年、職場にアマチュア無線部を作った。
 アマチュア無線が何かもわからない人が多かったが、会議室に集まった人たちにアマチュア無線のおもしろさを説明した。
 我ながら十分に面白さを伝えることができたと満足に思っていたが、参加者からの反応は、
「いろいろ説明していただきましたが、それがなぜ面白いのかさっぱりわかりませんでした」
「知らない人と会話する意味がわかりません」
 だった。
 この時初めて、「自分がすごく面白い、と思うものを誰もが面白いと思ってくれるはずだと考えるのは間違いだし、またその逆も違う」ということが心に刻まれた。
 以来、アマチュア無線に興味を持っていない人に「アマチュア無線は面白い」という話を一切しなくなった。

 このアマチュア無線部はたった2回の移動運用だけで解散した。


1991年(社会人7年生)

 家が完成したので千葉県我孫子市に戻った。家の建て替えに乗じて、20mの自立タワーを建設。このとき無線室もつくった。


 しばらくすると子どもが生まれたので何かと世話をする都合上、ゆっくりシャックに座ることができなくなり、いつでも席を立つことの出来るパケット通信にはまった。JA1CJQ矢之貴さんが運営する「取手ネット」にはずいぶんとお世話になった。

 パケットではたくさんの友達が出来、おもしろおかしくやっていたが、事件が発生した
 このころ、パケットでは他人に成りすましたり、その上BBSにいたずらをする人が横行したのだが、その犯人がわたしではないかと親しくしていた人に疑われた。どうやら、そのいたずらマンのがうっかり自分のコールを流してしまって、それが私のコールサインだったといういことらしい。
 そんな幼稚な手口にひっかかるわけはないと思うのは僕だけだったようで、その手口が成功したわけだ。

 これについては犯人と疑われていることに長時間気づかなかった。その友人がやたらとその犯人をけなす話をわたしにするのだが、他人事としか思っていなかったので、そうとう気づくのに時間を要した。
 友人は正面切って「君が犯人だろう」というわけでもなく何度もほのめかすだけだし、わたしも自分が犯人ではないと証明できるわけでもないので特に反論しても意味がないとドライに考えて何も言わなかった。
 それほど気にしていないつもりだったが、そんなことがあると気乗りしなくなるもので、自然とパケット通信から遠ざかってしまった。

 ちなみにその後犯人は私も親交のあった別の人に落ち着いたらしいのだが、自分の例もあるのでその人が間違いなく犯人であるかどうか、私には断言できないしあまり興味もない。

 私を犯人だと思いこんだその友人はとても性格の良い人で、正義感も強く僕と気が合った。だから彼とのQSOはとても楽しかったのだが、当然その後は交信することがなくなった。
 非常に残念だったが、私としては彼に対して含むところはその頃も今も全くない。またいつか交信できたらいいなぁ〜と思っている。

 ところで数年前に「取手ネット」の主宰者であったJA1CJQ矢之貴さんがJARLニュースのサイレントキーに掲載された。これはショックだった。気さくでやさしい人だった。

 パケットをやめてからは結局SSBやCWに戻っての運用となり、その後しばらくはたいした変化もなく、途中でアクティビティが落ちることも数年あったが、QRTすることもなく地味に続けていた。

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