詳しいプロフィール その4



2007年 18MHz開眼と設備一新

 ある日14、21MHzのディアルバンダーアンテナであるクリエイト214Aのマッチングが突然とれなくなった。22年も使っていると駄目になるものなのだろうと勝手に思い込み、アンテナの交換を実施した。そのまま14,21MHzでは芸が無いので18MHzマンに宗旨替えした。

 18MHzにめざめたのはJQ1KNHマモさんのWEBページに影響されてのことだった。感謝感謝。

 ところで、214Aの問題はバランからドライブエレメントにつなぐ給電線が片方なくなっているというだけのものだった。
 給電線をカラスが持っていくという事例が数多くあるそうなので、おそらくそれなのだろう。
 そのために新しく買ったクリエイトのアンテナの給電線はワイヤーではなく、板だった。その形状だと鳥がくわえることが困難だからだそうだ。

 この年、HFと50MHzの設備を最高出力1kWに変更した。1988年に取得した1アマのライセンスが19年も経って初めて役に立った。
 昔は10Wでも満足していたくらいなので100Wもあれば十分だから特に1kWなどいうハイパワーを出したいと思ったわけではない。しかし、
「日本も欧州に合わせて来年にもHFの最大パワーが400Wに制限される。でも、今のうちに1kW免許を取っておくと既得権でずっとOKだから、今とっておいた方がいい!」
 というデマを吹き込まれので、取っておいて損はないと思って取得した。そのためにアイコムのIC-765PROVとリニアのIC-PW1をペアで購入したのだが、これが開局以来初めての25年ぶりのメインリグ交換だった。つまり、2007年まで私のメインリグは真空管のTS-830だったのである。ものもちが良いのだろうか?

 1kWにしてからずいぶん時が経過したが、未だに400W制限などされていないし、それを吹き込んだ本人は100W免許のままだ。まったくいい加減な話だ。

 パワーが強ければ交信の難易度は下がるので、どの辺の難易度が自分にあっているかというのがミソだ。
 私はパイルアップに参加するのが好きだけれど、交信できて当たり前の状況で交信してもあまり面白みを感じないし、それならば結局ゲットできなかったほうが、よほど面白いこともある。特に、がんばってやっとゲットできたというケースが好みなので、せっかく購入したリニアだけれどこれを使う頻度は極めて低い。


 昔よくおしゃべりをしていた7L2ATG山口さんとの久しぶりの交信がきっかけとなって、年末になって私の住む我孫子近隣の飲兵衛ハムのメーリングリストグループ「常磐ハム」からお誘いがかかり、参加するようになった。
 私はクラブというものに加入するのが嫌いだし、妙な義務が発生するのもイヤなので大学の無線クラブ以降は一度もクラブに参加したことがなかったのだが、「クラブではなく情報交換や酒飲みの気楽な集まりだ」ということだったので参加することにした。
 移動運用でよく同行していただくJJ1OIR長屋さんも私と同時にその集まりに参加するようになり、それがきっかけで交流が始まった。美女ならともかく、おっさん同士の交流の経緯なんてどうでもいいか……。


2008年
 移動運用開始

 なんとなくHFの移動運用というものをはじめた。中古のIC-7000Mをオークションで落札し、これを持ち歩いてあちこちで運用する。移動運用なんてものをまったくやっていなかった私としては大きな変化だ。7MHzや3.5MHzのCWで「599 BK」とやるやつだ。
 ちょっとしたペディション感覚が楽しめて実に面白い。道の駅アワードというのも流行っているようで、多くの人が楽しんでやっているようだ。なかなかユニークな企画でたくさんの人が楽しめて結構だとは思っているが、私はもっぱら綺麗な景色を眺めながら運用したいし、カードにハンコをつかなくてはいけないというのも面倒なので、これには参加していない。
 北海道の貸し別荘でのんびり楽しんだり、真冬の北海道や東北を車で回ったり、島原半島を駆け巡ったりした。この詳細はメインメニューに戻って「アマチュア無線ビデオ」をごらんあれ!

 この移動運用をしていると不思議なことに出くわす。たとえばそれは自分自身が呼んでくることだ。数名の軽いパイルアップの中にJO1QNOがいる。このやろ、ふざけやがって!とちょっと怒りながらも、ゲラゲラ笑ってしまったりする。


 このあたりから国内外のコンテストに参加するようになった。
 時には移動運用で缶詰になってがんばるのだが、ついつい酒に手を伸ばして宴会になってしまうケースも多く、あまり立派な実績は上げていない。特に仲間が応援に来て隣で宴会をやるので、いつの間にかコンテストを止めて宴会に参加してしまうこともしばしば。


2009年 14〜28MHzのアンテナをリニューアル

 やはり14MHzがないのは寂しく、14MHzのモノバンダーをタワーに追加しようと考えていたが、QSOBANK主宰していたJA3VAP水島さんのTH7DXXをJF1UMK富永さんの紹介でいただけることになったので、計画を変更した。移動運用がてらに車で3エリアまででかけていった。
 トライバンダーだが、このアンテナは恐ろしく良く飛ぶしよく聞える。
 相変わらず出張を利用しての移動運用やDXハンティングでも楽しんでいる。

2010年 TS-2000SX投入

 アマチュア無線とは関係ないけれど、一番の親友が突然他界してしまったため、不眠症が続いた。

 ミニマルチの7,10,18,24MHzのロータリーダイポール(RN4DX)をタワーに追加した。これはアマチュア無線の雑紙にこのアンテナのレポートを書いてくれと依頼されたからだ。RN4DXを設置して記事を書いたあとはこのアンテナをもらえちゃうので、ほいほいと引き受けた。
 
 TS−2000SXを2台購入した。1台は中古で50W改造を施し、移動用リグに。もう1台は100W機のままで、自宅で使用することとした。
 移動運用には普段使っているリグと同じものを使わないと、いざというときに操作がわからなくなってしまうからだ。
 50W改造をすると技適機種ではなくなるため保証認定という懐かしい手段で免許を変更した。
 保証認定も電子申請になって、認定書はPDFで受け取りそれを添付書類として総通に電子申請出来るようになっている。
 それにしても、保証認定っていったい何をどういう理屈でどう保障してくれるのか、何の意味があるのかさっぱりわからない。



2011年 東日本大震災

 今年こそは! と参加を楽しみにしていたニューイヤーパーティに仕事のために参加できなかった。そして、仲間との移動を楽しみにしていたオールJAも仕事と体調の問題で不参加。さらに、2年連続の入賞を狙っていた関東UHFコンテストは親友の1周忌のためにパス。さらに全市全郡コンテストは友人に仕事が入ってしまってパス。

 東日本大震災が起こり、多くの人が被災した。
 私の家の周りに大きな被害はなかったが、通勤に支障があった。
 どんなときでも人は楽しみを見つけて行くべきだと思うが、移動運用をする人に対して「被災した人がいるのに不謹慎」などととってつけたような正義感をかざす人が出てきてうんざりした。

 でも、フィールドデーコンテストは参加して、ビデオをyoutubeにもアップしました! JO1QNOで検索してください。


2012年 幼なじみが開局

 茨城県取手市の土手の上でオールJAコンテスト、日光市霧降高原でフィールドデーコンテスト、茨城県取手市の土手でオール千葉コンテストに参加。しかし、まったく入賞できない年だった。
 
 小学校時代からの友人で、中学生の時には毎晩CBで交信してた友人がJH1AHUを開局した。我が家からほんの30mしか離れていない場所で彼はアクティブにCWをたたいている。

2013年 IC-7100Mを投入

 
幼なじみのJH1AHUと一緒に移動運用などを行っている。まさかおっさんになってもこんなつきあいができるなんて、子供の頃は思いもしなかったことだ。
 これもアマチュア無線のおかげだろう。

 
移動運用にはTS-2000SXと予備機にIC-7000Mをもっているが、IC-7000Mの設定が複雑すぎていまだによくわからない。そこで、IC-7100Mに買い替えた。

2014年 父JP1HKKサイレントキー
 
 父、JP1HKKが突然サイレントキーとなった。調子がおかしくなって検査入院したのだが、たった2週間で逝ってしまった。症状が出たときはすでに末期という種類のリンパ腫だった。
 余命が2ヶ月しかないと本人に告げると、「そうか、好きなことをしてきたから十分だよ」とニコニコしていた。84歳の誕生日を迎えるほんの2日前だった。
 遺品として手元に置いているのは縦振れキー二つ。ハイモンドのHK-710とHK-802。大事にしたい。 

2016年 大阪市茨木市にて開局

 突然会社から「11月から大阪に転勤してくれ」と言われたので、急いで大阪のマンション情報を調べた。
「最上階」「ベランダが大きい」「ロケーションが良い」を条件に検索し、大阪モノレールの支線が山に上がり、どん詰まりに位置する彩都西という駅の近所に目を付けた。
 この駅の回りは彩都というエリアで、山の中腹でアリ標高が150メートルあって、大阪平野を見渡すことが出来る。それをGoogleEarth等のソフトを駆使して調べ尽くし、そして条件に合うマンションを見つけると、新幹線に飛び乗って現地を視察し、本来は会社の総務部が候補を出した中から選ぶ事になっているマンションを、会社に何の断りもなくマンションを決めてきた。
 このエリアは茨木市と箕面市が入り組んでいるが、私のマンションは市境から100m程離れた茨木市に位置した。JCC2513である。

 マンションの条件は社内規定から若干外れていたけれど、そこは担当者が仲良しなのでうまくやってくれた。
 普通の社員はとても便利な都会かつ会社の近くにマンションを構えたがるので「なんでそんな何もないところに?」との質問を山ほどされたけど、まさか「電波が飛びそうだから」とは言えず、「田舎が好きなんだ」と言っておいた。
 どれくらい田舎かというと、大阪市内の人が近所に移動運用に来るくらいで、そういう人を見つけると、近くのコンビニでおやつを買い込んで、運用場所にかけつけて無線談義をしていた。
 しかし、駅から300メートルのところに熊がでてからは移動運用の人は来なくなった。
 熊について近所の歯科医は治療をしながら、
「あの熊ですけど、実は子供たちが『隣の公園で熊がブランコしてるで〜』ゆうたんですけど、大人たちは誰も信じへんかったんです。でも、ほんまやったわけです」
 と言っていた。
 熊がブランコ乗かい!

 さて、大阪ではJO1QNOではなくはじめから3エリアのコールサインJP3QDNを取得して運用をはじめた。
 転勤が決まり、マンションの住所も確定するとすぐに大阪府茨木市を設置場所とする10W固定局の開局申請を出したが、皆さんが言うように総通から「1エリアに移動局があるからだめ」などといわれることもなく、すんなりと2週間ほどで免許され、転勤に間に合った。
 一応申請書には、「我孫子市の自宅に無線局があるが、大阪の自宅にも設置するため」と記しておいた。これについて何ら証明書は要求されなかった。
 ちなみにリグは八重洲のFT-991AS。インターフェアを出したら無線が一切できなくなる可能性があるため10W機にしたのだが、FT-991の10W機を買う人がいないようでメーカーに在庫がなく注文生産かと思われるくらい待たされた。100W機を買ってパワーダウンしろという意見もあったが、八重洲によるとおなじ10Wで運用してもFT-991ASが991シリーズではもっともスプリアスが低いとの事だった。

 大阪ではJO1QNOとはまったく切り離してニューカマーを気取り、JCCやDXをカウントしようと思っていたが、あっという間にJO1QNOと同一人物とバレてしまった。
 3エリアのコールで関東弁を使い大阪平野に向けてCQを出したら目立つらしく、開局4日目、交信局数10局目に交信した大阪市のJP3EBJとの交信をワッチしていた東大阪市のJF3VAXが、「関東弁で名前が倉持やて? それって、千葉のJO1QNOが転勤してきたんとちゃうか?」とひらめいたというのだから凄い。
 実はJF3VAXとわたしには共通の友人がおり、その友人から彼は私のことをおもしろおかしく聞いていたのと、JF3VAXが山岳移動中に何度か交信したことがあったのだ。でも、面識はないし、大阪に転勤することなど誰にも言ってないのにピンときたというのだから驚きだ。
 彼はこの交信中にJP3EBJにLINEして「1エリアのコールを聞いてくれ!」と頼み、聞かれた私が「JO1QNOです」と答えたことで「あたりやな」ということになったのであった。

 それからすぐにJF3VAX宅で大阪のおっちゃんたちが集まる呑み会に誘われ、おっちゃんたちに囲まれてこう切り出された。
「ほんで、くらもっちゃん、言葉はどないするん? 大阪弁? 関東弁?」
「それは関東人だから、関東弁ですね」
「へ〜え、そうかぁ〜。せやけど、それは・・・・・・あかんやろ〜ぅ、えっへっへ」
 これをやられて「じゃ、大阪弁で行きます」と変更したのは私くらいらしい。
 ということで、これ以来私は無線ではすべて大阪弁となった。
 もともと親が関西人なのである程度の下地はあったものの、「そこはちゃうで」等と修正をされながらほとんど特訓のようなラグチュウが続いた。これがまた楽しくて仕方なかった。
 ネットでも河内弁と船場言葉の違いなどといろいろ調べながら訓練した。
 おかげで忘年会、新年会、温泉旅行と仲間に入れて貰って、楽しくて楽しくてしょうがない大阪生活を送った。


2017年 大阪にて無線三昧

 大阪のマンションは南と東につながるベランダは30メートル以上あたので、そこに足場管を立ててラディックスのV型DPを設置し、朝起きるとエレメントを取り付けて、出勤時に外して帰宅後また設置という日々が続いた。
 ちなみに3エリアのコールでは初心に返って10W免許で、リグはFT-991ASだったが、ベランダのVダイポールと10Wでも、国内、DXともにCWでそこそこ楽しむことが出来た。
 なにしろ大阪平野が見渡せ、肉眼で25キロ以上先のあべのハルカスのほとんど全景が見えるのだから、20キロ離れた梅田を歩きながらのハンディ―機のCQにも応答できてしまう程だった。
 山の中腹なので雪が降るとマイナス5度になることもあり、震えながらエレメントの交換をするのだが、そんなことも楽しんでいた。
 HFはWからオセアニアは開けているのでARRLコンテストなどはCWであれば10Wでも応答してもらえたが、バックには山があったのでヨーロッパやアフリカは全く駄目だった。

 JT-65をちょっとやってみた。JF3VAXはデジタル通信の先駆者で色々その辺の話をしてくれるし、大阪ローカルの数名がはまっていたのでちょっと手を出してみた。
 このころはまだ10WでもDXがガンガン出来る、といわれていたので手を出したのだが、もうすでに人口が増えすぎてぜんぜん駄目だったので、すぐに撤退した。
 インターフェアは全く発生していなかったのであらたにTS-990Sを導入して200Wの固定局も開設した。
 しかし、相変わらずパワーは5W、10Wで、たまに50Wにしてみる程度だった。

2018年 

 相変わらず大阪の面々と新年会をやったり、旅行会をやったり楽しんでいた。
 また、奈良のグループとも知り合い、そちらの新年会にお邪魔したりもしていた。

 大阪生活は4年を想定していたのだが、突然「7月から本社へ戻れ」との社命。折角仲良くなった大阪の友人たちとの別れが辛くて、しばらく落ち込んだ。
 このまま永住してもいいな、と思うくらい気に入ったので、大阪は老後の住まい候補とすることにして、楽しい思い出だけ持ち帰ることにした。
 私にはとても合う街だった。とても合う人たちだった。

 実は、そんな仲間たちとは別に、私が楽しんでいたハムがいる。
 それは毎早朝にほとんど漫才のような掛け合いラグチュウをしている2人のリタイアしたOMたち。
 このお二人のラグチュウを毎朝ラジオ代わりに聞いていて、決して声はかけなかった。聞いてるのが面白いし、邪魔をするのも野暮だと思えたからだ。
 しかし、アンテナを外す大阪最終日の朝、私は満を持してそのお二人のラグチュウにブレークを入れ、事の次第を話した。
 ずっとワッチしていたこと。明日、関東へ帰ることなどだ。
 お二人は予想に反して私が毎日ラジオ代わりにしていたことと最後に声をかけたことにたいして大喜びしてくれて、お二人との最初で最後のラグチュウを堪能することが出来た。
 とても楽しい時間だった。
 それから、毎週参加していた南大阪6mAMロールコールも忘れられない。
 北大阪でやっているのに南大阪。その主催者であるJA3XQOの軽快なマイク捌きには魅了された。
 関ハムでも出店のお手伝いをしたし、北海道まで出かけて北海道ハムフェアでも出店の手伝いをした。

 ほんの1年8ヶ月の大阪生活だったけれども、多くの方にひとかたならぬ御世話になった。
 JF3VAX、JO3DBN、JP3LGC、JA3PIU、JA3RFB、JP3EBJ、JA8HPR、JO3TAP、JF3UYE
、JA3XQOとの楽しい時間は一生忘れられないだろう。
 とくに7エリア時代からの友人であるJO3DBN川島さんとの再会、JF3VAX森脇さんとの出会いと助けがなかったら、これほど楽しい大阪生活にはならなかったと思う。
 感謝感謝です。

2019年

 台風でアンテナが壊れた。ローテーターもやられ、同軸ケーブルが切れ、すべてのバンドのアンテナを失った。
 家内との約束でタワーには上らないことになっているので業者の方に依頼をしているけれど、彼らも多忙らしく一向に来てもらえない状況。
 その代わり、北海道や九州への出張が多く舞い込んだので、ところどころで移動運用を楽しんだ。

2020年
 
 そしてアンテナが直らないまま2020年を迎えたが、6月になってやっとアンテナ工事に来てもらえた。
 18MHz5エレ八木、14,21,28MHz7エレ八木、7,10,18,24MHzロータリーダイポールを下ろし、新たに14,21MHz4エレ八木、7,10MHzロータリーダイポールをあげた。

 その結果、アンテナは次のように設置されている。
@ 50,144,430MHz GP
A 50MHz 8エレ八木
B 7,10MHz ロータリーダイポール
C 14,21MHz 4エレ八木

 6月に17年半愛用していたキャニピングカーを売却した。最近では移動運用のツールとなっていた。
 2002年11月に車両価格550万円で買ったが、17年半乗っていれば無価値だろうと思っていたら、80万円にもなって驚いた。

 
 ずっとテレワークだし移動運用もいけないので11月から新たな趣味として木工を始めた。

2021年
  
 固定局を再免許した。今まで1910kHzだけA1Aのみ1kWでその他のモードは200Wだったのが、勝手に全部1kWになった。どうせ使わないのでどうでもいいけど。
 去年始めた木工にはまって、ちょっとしか無線をしない一年だった。

2022年

 7エリア時代の友人から「コンディションがあがってるよ」と連絡をもらったので、またアクティビティが上がった。

 
10月から今まで拒否状態だったFT8をはじめた。思ったよりも面白くて毎日やっているが、CWもおろそかにならないように注意している。

2023年

 今年もCWとFT8でDX中心に遊ぶつもりでいる。

    もうちょっと読む  もういいや