詳しいプロフィール その2

ハムになる!

1975年頃(中学生)

 講習会だったら馬鹿でもハムになれる! という話を聞きつけて、お年玉を貯めた貯金をはたいてJARLの講習会に通った。
 オレンジ色の長細い受講票と眉毛がやたらと濃い管理者のお兄さんの顔を今でもおぼろげながら覚えている。
 たぶん夏休みではないかと思うが、そこははっきり覚えていない。
 場所は東京の上野で、千代田学園という専門学校だった。
 我孫子市から上野までせっせと電話級の講習会に通った。

 しかし、「講習会の出席日数さえ足りていれば、終了試験なんてどうであれ合格できるのだ」というウソを吹き込まれていたので、講習会場でつくったお友達と遊び呆けた結果不合格となった。
 万が一終了試験に落ちても追試があると聞いていたが、そんなものもなかった。「試験は形式だけ」なんていうデマを信用したのがいけなかった。
 「講習会は全員合格する」と言い切る人がいるが、それは誤りだ。
 友達になったのは同い年で、松戸の駅前の家に144のスタックが上がっているハム一家の子だった。もちろん彼も不合格だった。
 この話とは関係ないが、その子は高校生になるとダークサイドに落ち、リーゼントのぱっぱらぱーになって付き合いがなくなった。

 ところでこの講習会に来ていた高校生くらいのお兄さんは、SWLカードがつまったアルバム1冊をもってきて、休憩時間に受講生たちに自慢していた。
 SWLからじっくりはじめて憧れのハムになっていくという、こういう人は今でもいるのだろうか。彼は絶対に合格したと思うので、きっと今頃はJI1プリフィックスのコールサインで活躍しているに違いない。

 ちなみにこのときの会場だった千代田学園は2002年に倒産している。

1980年(大学受験浪人中)

 受験勉強中にふと思いついて息抜きのつもりで文字通りの一夜漬けで電話級国家試験を受けるが、あと1問たらずで惜しくも不合格。さすがに数時間の試験対策では無理だった。
 浪人中だったので大学受験の結果が見えるようでイヤーな感じ。
 案の定、名門歯科大学の学力試験を突破したのに面接で落とされた。
 電話アマを講習会、国家試験の両方に落ちるという快挙を遂げたのであった。

1981年(大学1年)

 冬休みに人生2回目の電話級アマ講習会を受講した。今回は上野ではなく新宿だったと記憶している。
 中学生の頃と違い、国家試験で取得する自信がなかったわけではない。
 ただ、この頃は電話級も年に2回しか試験がなかったので、思い立ったときに取得したいと思えば講習会が便利だった。

 今度はさすがにまじめに勉強したので、終了試験の自己採点では満点だった。修了試験中は隣の席の人妻に、

「カンニングさせて〜。そしたらあとでお姉さんのスカートの中もカンニングさせちゃうから〜ん!」

 と言われた様な気がするけど定かではない。でも、とにかく色っぽく迫られた。
 すごいミニスカートで、パンツがチラチラ見えていたことだけは覚えている。
 真っ赤なミニスカートから見える真っ白なパンツはまぶしかった。しかし、年上の女に興味がなかったので断った。
 今思い返せば結構な美人だった。惜しいことしたかな? 惜しいって、なにが? あはははは。とにかく、あのYLさんどうしてるかな? でももう70歳くらいだな。

 講習会の修了試験に満点で合格したと確信したので、ナショナルRJX−610(50MHz SSB/CW 5W出力)を秋葉原で購入した。
 しかし、免許が来るまではオンエアできないのでマイクをはずして丹念にワッチをして交信の練習をした。
 そして、無線機から切り離されたマイクに向かって疑似交信を積み重ねた。
 そのためか、開局後は「はじめてじゃないでしょ?」「前のコールは?」等と言われてかなり気をよくした。
 あの頃はちょっとでも先に開局していれば身分が上みたいな風習があり、万が一偉そうにしたあとに相手のほうがOMだとわかるとヤバい、というのがあって、ずいぶんと探りを入れられた。
 今のように、ほとんどがベテランという時代ではなかった。
 電波を出してみたい衝動に駆られながら我慢した時間は、苦しくもあり、楽しくもあった。

 このころの1エリアでの50MHzは内蔵アンテナでさえ常に交信が聞こえるほどみんさんアクティブなだった。
 特にJM1のおじさんが毎日オンエアしていて、とてもおやじっぽい喋り方なのだがなんとなく魅力的な人だった。
 免許が来たらこのおじさんと交信しよう!と思っていたのだが、免許が来た頃にはそのおじさんの声はまったく聞こえなくなっていた。
 話したこともないけどちょっと心配した。



1982年(まだ大学1年)

 2月についに電話級アマチュア無線技士の従事者免許証を手に入れた。
 
現在の第4級アマチュア無線技士に相当する資格で、実にアマチュア無線家の90%以上はこの資格だった。
 だからこの資格のままで30年もやっている人がいたが、特におかしなことでもなかった。

 電話級で運用できるのは電話モード、すなわち音声による会話のみであって、CW(電信・モールス通信)やデジタル通信はできなかった。送信出力は10Wが上限だった。
 上級を取ったところで検査なしで開局出来るのは10W局までだったというのも1,2アマを取得しないでずっと電話級の人が多い理由の一つだろう。
 電信級アマチュア無線技士というのもあったが、これは電話モードはできず、電信しかできなかった。こちらも送信出力は10Wまでであった。
 よって、電話級は電信級の下位資格ではなかった。
 ところが、7月13日に電話級と電信級の操作範囲が拡大されてFAX,RTTY,SSTV,ATVなどの画像通信も可能になり、電信級にも電話モードが許されたので、電話級と電信級の差は「電話級は電信ができない」だけになり、電信級が電話級の上位資格となった。
 のちに電話級が第4級アマチュア無線技士、電信級が第3級アマチュア無線技士に変わった。

 電話級アマチュア無線技士の免許は1月初旬に申請して2月になってやっと送られてきた。つまり発行まで約1ヶ月かかったのだ。
 これでやっとハムになったのだから、このときは嬉しくて仕方なかった。
 
マウスを乗せると開きます。それにしても今と全く顔が違う。

 このころはまだ免許申請に医師の診断書が必要だったのだが、私はうっかり総合病院に行ってしまってえらい目に遭った。
 無線従事者免許用の診断書を知らない医師は、一人でちょいちょいと書いてしまえばよいものだと知らずに、各項目ごとに科を回らせようとしたから大変。精神科に行けとか内科に行けとか言われて、1日かかってしまった。
 これで知恵がついたので翌年第2級アマチュア無線技士を取得した際には芦名医院を経営されていたJA7FHH芦名OMに超高速で診断書を書いてもらった。

 免許の氏名が実に下手な字だが、この頃の免許証は氏名を自分で書き込むのであった。

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