1970年代(小学生)
何歳のときだったかは不明だが、初めてのトランシーバーはクリスマスプレゼントに叔父からもらったオモチャだった。学研のトランシーバーのようなやつだ。
今でも形をおぼろげに覚えている。
交信距離はというと、肉声が届くような距離しか飛ばなかったし電池がすぐになくなってしまうので、十分には遊べなかった。
あの頃電池は高価で充電池もなかったから、十分に遊ぶことができなかった。でも、これでトランシーバーが大好きになった。
小4の時、兄と二人で千葉県我孫子市から秋葉原へ、ソニーの合法CBトランシーバー「リトルジョン」を買いに出かけた。
東京の塾へ通っていた兄は東京になれていたが、私には異国の地のようだった。
電気街を歩いていると売り子のおじさんに「もっと勉強するよ」と言われたが、どうしてこんなおじさんがいまさら勉強するのかと不思議に思った。
「勉強する」が「値引きをする」という意味で使う人はもう秋葉原にもいないかな?
リトルジョンは出力0.1Wで交信可能範囲は住宅地で500m、見通し範囲で2.5km程度だった。
1974年頃(小学生か中学生)
兄の友人(初代 JG1SGD)によるRJX-601での交信を見てハムを知った。
リトルジョンで2.5km飛んだだけでも大騒ぎだったのに、20km先に飛んだのだから仰天した。
ホイップアンテナで我孫子の自宅前からオンエアして、船橋まで簡単に飛んで行った。
びっくり。
「家にある無線機(TS-520X)だと外国まで飛ぶのだ」と聞いたときには夢が広がった。
でも、勉強が嫌いだったので電話級電信級アマチュア無線技士の教科書を見ただけで、今時の表現で言うところの「無理。意味わかんね」と思って断念した。
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